【ラジオ】純粋な表現は人の魂を動かす

抵抗感や苦手意識がありながらも、絵、歌、発信など表現活動をしていくことについて、私の実体験も交えながらお話しします。

haruka life art radio

信州安曇野にて新しい時代の暮らし創りをする颯香が、天命と向き合うあなたへ、本音で、時にちょっと辛口に語ります。

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目次

表現への苦手意識を超えて創造性を発揮するには

第2回目の今回は、「表現をする」ということについてお話ししてみたいと思います。

表現って、なんだろう

人は生きていれば、望んでいようと望んでいなくても、何らかの表現はしていると思います。一方で、「表現」というテーマが人生の中で重要な意味がある人たちもいると思います。

なぜか私の周りにはそういう方が多い気がするし、そういった方たちが「表現をしたい」と内側では思っているのに、なぜか私は気づいてしまうところがある人間だなと思っています。

表現と一口に言ってもジャンルは様々で、話すとか、文章にするとか、絵を描く、声を使う、演じる、身体を使う、写真とか映像とか。表現と表現でないものの境目はあってないようなものかもしれません。

日常生活とか裏方の仕事も表現になり得ると思いますけど、ここでは「誰かに受け取られることを意図した行い」について話していきたいと思います。

では、自分が「表現をする」ということについて、どんなイメージがありますか? 好きですか? 何かやっていることがありますか? 受け取り専門でしょうか? 自分がする感じがしないですか? 興味ありますか?

関心の度合いとか経験の有無は人それぞれかもしれません。でも、今よりもう少し表現してみたいとか、これまでとは違う表現にチャレンジしてみたいとか、そういった気持ちは多くの方がお持ちなのではないかなと思います。

ネットですとか、公に発信することばかりが表現ではなくて、身近な人に表現するのも表現。なにより自分自身に表現をする、表現されたかった言葉を表現してあげる、このように形にしてあげる。そんなことも全て表現だなと思います。

何かしら表現できた時の清々しさは、多かれ少なかれ皆さん経験があるものじゃないかなと思ってます。例えば、印象深かったあの日のこと、「やっと投稿できた」とか。

私にとっての「表現」

ここで私のことをお話ししてみたいと思います。

表現は、様々な形で意識的にやってきた方だと思ってます。芸術の方面では、水彩画、アクリル画、書、舞も舞いますし、その中で歌うこともあります。最近は服作りもしていて、自分の内なる側面を表面化させていく一つの、大事な表現方法かなと思ってます。

あとは何より日々の発信かもしれません。Instagramで発信していますし、このラジオも始めたこと、これも表現ですね。私は「新しい時代の暮らしのひな形」を作ることを目指しているので、誰かに届ける前提で日々生きてるとも言えます。

今の私にとって表現は「呼吸」という言葉を使いたくなります。インスピレーションを受け取っては放っていく循環であり、暮らしの営みの一部ですね。

緊張感のある場面ってもちろんあるんですけれども、そこへの恐れとか抵抗感は、もうほとんど感じてないかなと思ってます。

「絵を描きたい」と思い始めた頃

でも、初めからそうでは全くなかったんですよね。

今安曇野に住んでいますけれども、今から7、8年前。当時は新宿で事務所を構えてデザインの仕事をしていました。とっても忙しく働いていたので、毎日コンビニ通い。ファミチキがお気に入り。エナジードリンクも飲んでました。

そんな私が、「絵を描きたい」と思い始めたんですね。当時、広告系のグラフィックデザインの仕事はしていたんですけれども、そういったものではなくて、内なるものを表現したいという感覚だったんです。

私は大学が芸術工学部というところに行っていて、デッサンとかはやっていたんですけれども、そのデッサンって、目の前に正解があってそれを写す作業じゃないですか。それではないんですよね。この「何もないところから表現していく」ってどうしたらいいんだろうっていうので、途方に暮れてしまったんです。

そこで私は「創造性」というキーワードに辿り着いて、本を読み漁りました。

そうする中で、実感はないけれども辿り着いた仮説がありまして。「創造性は宇宙の源から全ての人に流れている。源と人を繋ぐパイプから精神的な詰まりを取り除けば、インスピレーションをもとに創造ができる」。

仮説は立ったけれど具体的にどうしたらいいかわからないということで、私は「表現アートセラピー」の講座に参加してみたんですね。これがなかなか良かったんです。

「上手く描かなきゃ」を手放す

まずやらせていただいたのが、「利き手と反対の手で絵を描く」ということ。

私、「上手く描かなきゃ」というプレッシャーが強くて、なかなか絵を書き始めることができなかったんですけれども、この「当然上手くない、それでOK」っていうワークのおかげで、このプレッシャーがあっさりと外れたんですね。

そして、自分の様々な感情を描くというワークもさせていただきました。ネガティブな感情も含めて、自分のどんな感情も描いていく。そうしていくと、そんな感情たちも、絵にしてみるとなんか「美しいじゃん」と思えるようになったんですね。自分の内側にあるものを客観視できたんだと思います。

それをきっかけに、毎日少しずつクレヨンで自分の感情を書くことを繰り返していって。そうすると、前から気になっていた水彩画に挑戦したくなったんです。

そして、始めて一作品目ができましたと。それは技術的には洗練されてはいないんだけれども、今も気に入っている作品です。この「内なるものの一端が表せた喜び」であるなって、その時思いました。

表現をやりきった感覚

そこから絵を描き続けて、舞も始めて……っていうのが何年かあったんですけれども、神奈川にいた、今から遡ると5年前ですね。

里山の「場開き」のセレモニーを主催したんです。その時、一人で舞わせていただきました。

私は舞はもう完全に素人で、当時もよくやったなと思うんですけれども、とってもその回に向けて本気だったので、ヘアメイクさんをお呼びして、どことなく神聖な雰囲気にしておいてもらいつつ、ちょっとアバンギャルドな感じも入れながら化粧をしてもらったりとかして。それも含めて、勇気を出した挑戦だったなと思います。

そしてその会が終わって、その様子を撮影した動画を私、編集していたんですね。

その日、焚き火を囲んで焼き芋を食べたりしてたんですけど、そのシーンで友人がとってもいい顔で笑っているのを動画で振り返ってみたら、なんかもう「私、死んでもいいな」と思うくらい喜びが込み上げてきたんです。

それをきっかけに、絵や舞とか表現をしていくことの、ちょっと力が入りすぎた感じもある意気込みみたいなものがなくなったんですね。各地に出向いて撮影したいとかも思ってたんですけれども、なんかその思いもどこかに行って、畑に専念したりとかして、多分やりきったんでしょうね。

今も相変わらず表現はするんですけれども、流れを受け取った時に集中的に取り組む感じで、当時のような取り組み方ではやってないなとは思っています。

表現したいのに、表現できない

さて、人生の中で表現が大切なテーマである人ほど、抵抗感も感じやすいんじゃないかなと思います。私はまさにそうでした。

抵抗感とか苦手意識、あったりしますか? 例えば、人と話した後に一人反省会をしているとか。作品を作っても表現しきれてないなって、ちょっと悔しく感じたりとか。表現のプロと比べちゃって、自分の表現なんて世に出す価値はないなと考えたりとか。

そんなことを感じる人、才能があるかもしれないです。

表現したいという意欲がなければ、抵抗も起こらないと思うんですよね。「表現したい」っていう何かしらのものが内側にあるから、実際出来上がったものと比べて「それが叶ってない」と感じるわけですけど、内側にあるっていうことが、もうすでに才能なんです。

そして、その分野に関しての解像度が高くて、見る目が厳しいっていうのもあるような気がします。

私、今ラジオとかしてますけど、話すのは本当に上手くないなって昔から思っていて。話の構造がとっちらかったりだとか、「えー」って言っちゃったりだとか、結構噛んだりとかね、そういうのすごく気になるんですけれども、多分「表現」というテーマを魂が持っていなければ、そうであってもあんまり気にならなかったりすると思うんです。

だから気になること自体が才能かなと思って、私、やってます。

人を深く動かすのは、技術だけじゃない

そして、自分の表現を批判する声が聞こえてきたりしますよね。だけれども、そういったことよりも大事なことがある気がしていて。これ結構前にある方から聞いた話なんですが。

ある方の知り合いの方。その方が困難を越えたエピソードを、講演会で話す機会があったんですって。私の知人はその方の話を聞いて、話し方は上手ではなかったけれどもすごく感動した。

その方の話がすごく人気になって、引き合いが多くなってあちこちで話すようになって。私の知り合いは、またその話を聞きに行ったんですって。

話し方は格段に上手くなっていた。けれども、初めほど感動しなかった……ってことなんですね。

こういう経験って結構ありませんか? 私はあります。

じゃあ人は表現の何に深く感動するのかなって思うと、どうも技術力だけじゃないと思うんですね。歌が上手いとか、絵が「これどうやって描いたの」っていうレベルだとか、唸ってしまう文章力、だけではどうもない。

表面的にはこちらが重要って思われがちかもしれないんですけれども、技術力って人間の可能性を感じさせてくれるものでもあるし、そこまでの努力にリスペクトも感じますよね。

でも、「すごい!」とはなっても、深い感動とは違ってたりする。

魂の表現は魂に届く

じゃあ何かなと思うと、皆さんいろんなお考えあると思うんですけど、私は「純粋さ」なんじゃないかなって思うんです。

心の底から思っていることを言葉にするとか、技術が追いついていなくても内にある世界を誠心誠意込めて表現するとか。シンプルに、ちょっと勇気を出して「歌いたいから歌う」みたいなことも心が動きますよね。

格好つけたがっている表面の自分ではなくて、深いレベルの自分から発せられた表現に人は感動すると思うんです。

「魂の表現は魂に届く」。

そして魂は常に進化します。

先ほどの例に挙げさせてもらった話だと、きっとその講演をしていた方、引き合いがあって話すことが増えていったんですけれども、ご本人の魂の関心はもうそこになかったのかもしれないですね。それで私の知人は響くものがないと感じたんじゃないかなって思いました。

少し抵抗を感じながらも、それを越えて表現する姿に人は感動するんじゃないでしょうか。

魂の進化に合わせて表現もアップデートしたいですよね。技術力っていうのは、やり続けていると自然と高まるものです。目指すものではないんじゃないかなと思ってます。

表現する瞬間の感動を大切にする

表現をする瞬間、瞬間の自分の感動こそ大切にしていきたいし、私は絵や舞とか、もっと上手くできるようになりたいとは1ミリも思ってないです。

瞬間瞬間、出し切るのみだなって。

まとめます。
人の魂を動かすのは、魂からの純粋な表現、と言いたいです。

少し怖いけど挑戦したい、を手がかりに、表現を続けてみませんか? 私もこのラジオ、続けてみます。

最後に、8年前に初めて描いた水彩画に添えた言葉をお伝えして終わりにしたいと思います。

これ、実は私のインスタの一番初めの投稿なんですよ。もう投稿が700件近いので遡るの大変なんですけれども、言葉だけこちらでお伝えします。

「取り合うことはない。光は分け隔てなく降り注ぐ。
怯えることはない。大地にいつも支えられている。
焦ることはない。すでに熱に満ちた種を持っている。」

今日はこんなところで。感想やテーマのリクエストなど、インスタのDMでいただけたら大変励みになります。
ではまたお会いしましょう。

Thank You !

お読みいただきありがとうございます。
些細なことでも、お声を聴かせていただけると嬉しいです!

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颯香 / haruka uchida
新しい時代の暮らし創り
信州安曇野の山の麓で「祈り・まつり・芸術を中心とした暮らし」の輪を育んでいます。志は、祈りと野良仕事を通して、清らかな水源の地を守り、暮らしから千年先の人類の精神性に寄与すること。
目に見えない微細な波を感じ、セッションを提供したり、宇宙から受け取った6つの魂タイプ《むつたま》をお伝えしたり、インスピレーションから生まれたアート作品をお届けしたりしています。
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